為替相場はそのとき動いた|金融知識ガイド-iFinance
外国為替取引において、過去の大相場を知ることは一つの参考になります。ここでは、外国為替市場の歴史において、為替相場が大きく動いた出来事をまとめてみました。
■1971年8月:ニクソン・ショック
金とドルの交換が停止され、実質的なドルの切り下げが行われ、円については1ドル=360円の体制を離脱した。また、1973年から先進主要国で変動相場制が開始された。
■1978年11月:カーター・ショック
米国の貿易収支の大幅な赤字進行とインフレ率の上昇等でドルが急落。これに対応するため、協調介入の強化や公定歩合の引き上げなどを含めた一連のドル防衛策が実施された。それを受けて、ドル/円は1日で10円以上もドル高・円安になり、その後もその流れは続いた。
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■1985年9月:プラザ合意
低迷する米国経済を支援するため、ニューヨークのプラザホテルに集まったG5の要人が対ドルでの自国通貨の切り上げを政治的に決定した。そして、協調介入でドル安誘導を行ったところ、ドル/円は24時間で約20円下落、またその後の約2年で240円から120円まで円高が大きく進行した。
■1992年9月:欧州通貨危機
経済通貨同盟(EMU)の先行き不透明感やドイツの高金利政策維持により、投機筋によってドイツマルクが買われたほか、弱い通貨(英ポンド、イタリアリラ等)が売られた。これによってERMは、5年9カ月ぶりに中心相場の再調整に追い込まれ、イギリスとイタリアがERMから離脱した。
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■1994年:メキシコ通貨危機
メキシコで貿易赤字の累積や社会不安が表面化したことから、資本の海外逃避が一斉に始まり、変動相場制への移行と自国通貨の切り下げによってメキシコペソは大暴落した。この影響は、中南米諸国やアジア・ヨーロッパの一部まで波及したが、アメリカとIMFが緊急融資を決定したことで、危機は終息した。
■1995年:七夕介入
4月に史上最高の1ドル=79円台をつけ、7月7日に日米が協調介入を実施し、同時に利下げを実施した。この年は、とにかく円高が一気に進み、介入が積極的に行われた。
■1997年:アジア通貨危機
事実上、ドル・ペッグ制をとっていたタイ・バーツが市場の圧力でペッグ制を維持できなくなり、切り下げられて大暴落した。それがアジア各国に波及し、通貨の切り下げや通貨制度の変更に追い込まれた。特に、タイ、インドネシア、韓国は、経済面で大きな打撃を受けた。
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■1998年:ロシア金融危機(ロシア財政危機)
ソ連崩壊後、市場経済化を進めたロシアは、インフレと財政赤字に悩み、さらにアジア通貨危機の余波も受けて、98年に国債価格が暴落。国債での資金調達が難しくなった政府は、危機打開のためにルーブル切り下げや対外債務の支払い凍結を発表。これによって、政治は混乱し、通貨・株・債券のトリプル安になった。
■1998年10月:LTCMの破綻
米国のヘッジファンドLTCMが破綻し、10月7日から8日にかけてのわずか48時間の間にドル/円が20 円以上動いた(大暴落をした)。その要因として、膨大に積み上がった円キャリートレードの損切りがあった。
■2001年9月11日:米国同時多発テロ事件
米国で起こった同時多発テロで、ニューヨーク市場が大打撃を受け、一時マーケット機能が停止した。株価は全面安となり、世界はこれ以降、長期的な不況に突入した。なお、為替は一時的に円高に振れたものの、2週間ほどで元のレベルに戻った。
■2007年8月:BNPパリバショック
2007年8月、サブプライムローンが原因と言われる、BNPパリバ傘下のファンド凍結のニュースがマーケットを駆け巡り、為替相場が混乱に陥った。その影響で各通貨が暴落し、ドル円は約10円、ユーロ円は約15円、ポンド円は約20円、それぞれ1週間で下落した。
■2008年10月24日:歴史的なクロス円の大暴落
リーマンブラザーズの破綻から約1カ月余り経った2008年10月24日、100年に1度とも言える歴史的なクロス円の大暴落が起こった。その要因として、世界的な信用不安により、行き場を無くした資金が消去法的(逃避的に)円に流れ、それまで残っていたロングが一気に巻き戻され、投売りに次ぐ投売りでマーケットがクラッシュした。
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