熱気球 - Wikipedia
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熱気球(ねつききゅう)とは、飛行するための道具である気球の一種。暖めた空気により浮力を得て飛行する。軽い水素やヘリウムなどの気体を集めて浮力を得る物はガス気球と呼ばれる。
熱気球は、球皮(エンベロープ)と呼ばれる袋の中の空気を下部に取り付けたバーナー等で熱し、外気との比重の違いにより発生する浮力により上昇する。乗員は通常球皮の下に取り付けられたゴンドラ(バスケット)に乗る。一部ハーネス等でパラグライダーのように吊った状態で飛行する物もある。
バーナーからの熱の調整による上昇、下降のみ可能であり、風のほかに飛行船のような自力の推進力は持たない。風の向きと強さは高度によって異なるため、進みたい方向の風を見つけて高度を調節する。熱気球の上部には中の空気を抜くための弁がある。弁には各種構造があるが、一般的なものではパラシュートと呼ばれる円形に縫製された布によって内圧で塞がれている。排気を行う場合は排気弁、通常リップラインと呼ばれる紐を引く事によってパラシュートを引き下げ、排気する。排気弁には本来大きく分けて2種類の名称がある。ダンプとリップである。ダンプは上空で飛行中使用することを目的とし、リップは最終排気を行うための物である。前述のパラシュート形式の弁の場合、この両方の機能を併せ持っているために操作 索はリップラインと呼ばれる。
熱源となるバーナーの燃料はLPGを使用しており、飛行時間にもよるが、一度のフライトで一般家庭が使用する約1~2ヶ月分のLPGを消費する。その他にも特殊フライトをする機体では別の燃料を使用する事例もある。
熱気球の飛行は、その地域を管轄する空港とのすり合わせが必要である。航空路や、管制圏等を避けたエリアに対して飛行可能であるエリアや高度が決められる。飛行可能となるエリアはノータムとして申請し、一般の他の航空機に対しても公示される。一部の空港に近接した地域では、離陸前および着陸後に空港へ連絡する必要がある場合もある。
古くは諸葛亮が天灯という熱気球を発明していたという俗説がある。また有人飛行に限らなければポルトガル人バルトロメウ・デ・グスマンがモンゴルフィエ兄弟よりも早く(1709年に)、熱気球の実用模型を飛ばしていた(この実験は教会から異端として告発され、以降実験は中止されることとなった)。
熱気球による初の有人飛行を成功させたのはフランスのモンゴルフィエ兄弟(ジョセフ・ミシェル、ジャック・エティエンヌ)である。二人は煙突から立ち上る煙から、温めた気体を袋に詰め空を飛ぶというアイデアを着想したと言われる。最初は暖炉の煙を紙袋に詰めて実験し、自分たちの理論が正しいことを確かめると、より大きな袋(風船)を作成する。1783年6月5日に無人での飛行に成功。同年9月19日にはベルサイユ宮殿でルイ16世やマリー・アントワネットの前で動物を乗せたデモンストレーション飛行に成功、同年11月21日にピラトール・ド・ロジェとフランソワ・ダルランド侯爵の二人をのせた気球がブローニュの森から飛び立ち90 mの高さで25分間、約8.8 kmを飛行した。発明者たちの名を取ってフランス語や英語では「モンゴルフィエ」が熱気球を意味する一般名詞となってもいる。
人類で初めて気球に乗った飛行者のロジェは、翌々年1785年6月15日に自らが考案した新型気球でドーバー海峡を飛行試験中、水素に引火した爆発で同乗者のジュール・ロマンとともに墜落死し人類初の気球による死者となった。
モンゴルフィエによる有人飛行の10日後にはジャック・シャルルによるガス気球の有人飛行が成功する。
気球はブームとなるものの、風まかせであるため旅客・物資輸送等には適さず冒険家による長距離飛行記録など金持ちの趣味の域を超える物ではなかった。その後、飛行船や飛行機の発明により衰退するが、第二次世界大戦以後スカイスポーツとして復活する。
1959年アメリカでNASAなどとの共同作業でRAVEN社の技術者エドヨーストらによって近代的熱気球が作られ飛行が行われた。近代的熱気球とはナイロンなどの化学繊維を球皮(エンベロープ)とし、プロパンガスを燃料として飛行する物を指す。この飛行の成功から数年後、初のスポーツ用熱気球がRAVEN社によって市場に販売開始される。その後イギリス、フランスなどにも気球メーカーが出来る。ガス気球の世界で名が知られたピカールも一時期熱気球を製造していた。
なぜ失敗したの日本で、日本人による最初の有人飛行を熱気球で行なったのは、京都大学、同志社大学を中心とする京都の学生達からなるイカロス昇天グループと北海道大学の探検部が協同して作成した熱気球である[1]。この熱気球には初飛行時には名前がついておらず、取材に来たテレビ会社の記者が呼んだ"空坊主"という仮の名前が使われていた。初飛行は1969年に北海道の羊蹄山を望む真狩村において行われた。熱気球の分担内容はイカロス昇天グループが球皮とゴンドラを、北大探検部熱気球班がバーナーを、それぞれ独自に作成し一つの熱気球として完成させている。なおこの熱気球の球皮の形の決定には京大生の嶋本伸雄が電子計算機を用いて精密な形状の決定を行った。飛行時の仮名"空坊主"はのちにイカロス昇天グループによりイカロス5号と改められたので、現在はイカロス5号が正式名称とされている。なお初飛行も担当したイカロス昇天グループの梅棹エリオは、文化人類学者である梅棹忠夫の息子にあたる。こ� ��以降も北大探検部アフリカ班、未知の会、慶大探検部、広大熱気球部など次々と熱気球活動を行う団体が設立され、スカイスポーツとしての熱気球が盛んになって行く。
日本の熱気球の活動はイカロス5号に触発され、大学探検部などによる自作した気球により飛行する活動から始まった。多くの大学にクラブが創立され気球を製作しフライトを行った。飛行するためには試行錯誤と長い製作時間を要した。
その後欧米の気球メーカー製の機体が輸入される様になり、一般化する。大学クラブの衰退もあり、現在では自作気球はほとんど作られず、ほとんどの熱気球がメーカー製である。
[編集] 構造と装備
熱気球は、大きく分類して"球皮"(熱気を蓄えるための袋)と呼ばれる部分と、乗員が搭乗し、燃料を搭載し熱源となるバーナーなどが搭載された"下回り"と呼ばれる部分によって構成される。球皮部分と"下回り"は、ステンレスワイヤーやケブラー系のケーブルで接続される。"下回り"は、ゴンドラ、バーナー、シリンダー(LPGタンク)、バーナー、を支えるための構造、計器などから構成される。
[編集] 球皮(エンベロープ)
熱気球において最も巨大な部分。飛行しない時は全ての空気が抜かれ、ゴンドラに収まるくらいにコンパクトになる。飛行時はインフレーターと呼ばれる強力な送風機で冷気を球皮内に入れ、ある程度膨らんだところでバーナーを使用し、熱気を入れる。材質は主にポリウレタン気密コーティングされたナイロンやポリエステルで出来ており、荷重を受ける部分はナイロンやポリエステルのテープにより補強されている。これらは主にポリエステル等の糸で縫製されている。耐熱性を要する場所はノメックス等の糸で縫製される。
また、バーナーの近く(開口部周辺)は耐熱性を高めるためにアラミド繊維のノメックスやコーネックス、ノボロイド繊維のカイノールなどで耐熱性を高めた物もある。飛行するごとに気密コーティングや素材の強度が劣化していく。素材により異なるが通算約200~600時間、飛行することができる。
[編集] バーナー
球皮内に熱気を入れるための器具。近代的熱気球のバーナーはバーナーに備えた熱交換コイルで液体プロパンを加熱し、一気に蒸気に変えて爆発的に燃焼させ高い出力を得られるような構造を採用している。家庭用コンロのように気化されたガスを直接使用するものではない。燃焼時には大きな音と共に大きな炎が放出される。基本的にバーナーには2系統のシステムを持っており、1系統が上空で故障しても安全に飛行できるように設計されている。
バーナーの出力は、近代的熱気球が出てきてから徐々に増加する傾向であったが20世紀終わりには十分な出力が得られるようになりその技術変革は気化ガスを使用していたパイロットバルブを液体からの物に変更することや、低ノイズのシステムを模索し、更に人間工学的操作性の追求へと至っている。
私はRVで生きることができます初期には燃焼によって大きな爆発的ノイズが発せられるバーナーが多かったが、地上の動物や人への騒音問題で徐々に低ノイズ化されるようになった。現在では空気との混合方法を改良した様々なノズルがメーカーから販売されており、以前に比べ低ノイズの物になっている。これらが普及するまではバックアップシステムでもあった液体を直接放出し着火するシステムを低ノイズ化を行うために使用されることもあった。
初期のヨーロッパ系システムはガス気球からの発想でバーナーとゴンドラとの間をワイヤーのみで接続していた。そのため、バーナーが着陸時の衝撃により落下する危険性があり、搭乗者にヘルメットの着用が求められていた。しかし現在では、ナイロン樹脂やポリカーボネート製のポールによってバーナーが支えられているため、バーナー部分が搭乗者の上に落ちてくることはなくなりヘルメットを着用するかどうかは任意となっている。アメリカ系のシステムではバスケットとバーナーはアップライトと呼ばれるアルミや籐などで作られた上部構造で支えられる物が近代熱気球初期から使用されている。
[編集] シリンダー(タンク)
一般家庭で使用されるLPGボンベとほぼ同等のものであり、燃料容器、形状からシリンダーと気球界では呼ばれることが多い。一般的な熱気球用のシリンダーには気体供給用と液体供給用のバルブ2つと、残量計がついている。日本国内で使用される熱気球では容量20kgのアルミ製ものが多く使用されている。欧米では強度や耐熱性でより安全性の高いステンレスが主流となっており、容量は30kgのものが一般的である。実験的にカーボンや、チタンの燃料容器が作られたこともあるが普及はしていない。
熱気球に使用される燃料は液化石油ガスの中でプロパンが主に使われる。市場にはプロパンとブタンが流通しているが、常温での蒸気圧が高いプロパンが使用しやすいためである。国によってはブタン混合燃料も使われるが、その場合窒素ガスなどで加圧して使用される。
[編集] ゴンドラ(バスケット)
人が乗り、燃料を搭載する部分である。ゴンドラ(バスケット)とバーナーはステンレス製のワイヤーによって接続されたり、アルミやステンレスのフレームにより接続される。通常ゴンドラが籐を編んで作られているのでバスケットと呼ばれる事も多い。補強のためにワイヤー、アルミパイプなどが編み込まれている。底部は籐で編み込む構造の物とマリングレードのプライウッドなどを使用する物がある。構造の主体に籐素材を使用するのは、フレキシブルな構造なので着陸時の衝撃を吸収できるためである。バスケットの上部ヘリなどは乗員に優しいようにパットや皮素材などで保護されている場合が多い。
そのサイズは平面で1m四方程度から2mX3mぐらいの大きな物など、搭乗人員にあわせて様々なサイズがあるが、一般的な3人ぐらい搭乗するものは1mX1.2mぐらいのサイズのものが多い。四角い物が多いが、三角形のバスケットを製造するメーカーもある。
一人乗りの小さな機体ではハーネスで乗員や機材を吊っただけの物もある。
また、特殊な飛行で高々度または長距離に及ぶ場合、FRP製などのカプセルがゴンドラとして使われる場合もある。
[編集] 計器
熱気球に通常搭載される飛行計器は高度計、昇降計、温度計が組み込まれたものである。高度計は現在の高度を示すための器具。昇降計は気球が上昇しているか下降しているかを示し、その速度を表示する。温度計は気球の上部に付けられたセンサーの温度をケーブルもしくはトランスミッターで計器に伝えて表示される。
構造的には旧来のアナログ方式の物はアネロイド気圧計と同等で、主として長針、短針とで表示される型式の物がつかわれる。最近では感圧センサーとコンピューターを組み込んだデジタル構造で温度計トランスミッターを搭載した物が主流である。フライトの記録をデジタルで記憶させられる物など高機能化が進んでいる。またGPSと連動してフライト記録を残せるバログラフ的な機能を持った器機も存在している。
ニューメキシコ州の資源は何ですか?[編集] 携帯型GPS
最近では、携帯型GPSが搭載されることが多くなっている。風に乗って飛行するため、正確な対地速度、飛行方向等を表示させられるGPSは高度計などに続く重要な計器となっている。特に、熱気球競技においては必需品となっており、競技で飛行する場合、飛行航跡を大会側が管理するためにロガーとしての搭載が強制となっている場合もある。さらに、GPSとパソコンを接続することによって、飛行航跡、高度、時間等のログを管理することができるソフトウェアも活用されている。
[編集] インフレーター
気球をふくらませる作業を行うとき最初に冷風を送り込むガソリンエンジンで稼働する送風機。エンジンは5hp~8hp程度の物が一般的、プロペラは24インチ~27インチ程度の物が多い。プロペラの素材は木材やアルミのキャストの物などがある。
日本国内で熱気球を操縦するためには、日本気球連盟が発行する熱気球操縦士技能証が求められている。ハンググライダーやパラグライダーと同様に、国内法では熱気球も航空機として分類されておらず、国家資格は存在しない。 欧米では熱気球は通常航空機のカテゴリーに分類されている。各国の国が発行するライセンスが必要になる。 なお、パイロット以外の搭乗者には特に資格は必要ない。
[編集] 熱気球操縦士技能証
いわゆる熱気球のパイロット資格である。取得するためには、以下の条件が必要。
- 日本気球連盟の会員であること
- 満18歳以上であること
- Pu/t(パイロット練習生)講習会を受講すること
- インストラクター同乗による訓練飛行を10回かつ10時間以上行うこと
- インストラクター同乗による対地高度2000ft以上を飛行すること
- インストラクター地上待機による、単独訓練飛行(ソロフライト)を行うこと
- 筆記試験に合格すること
- イグザミナー(試験官)同乗による実技試験に合格すること
[編集] 熱気球指導操縦士技能証
インストラクターの資格である。取得するためには、以下の条件が必要。
- 日本気球連盟の会員であること
- 満20歳以上であること
- 熱気球操縦士技能証を保持して一年以上であること
- 指導者講習会を受講すること
- 1時間以上のフライトを2回行うこと
- 15分以上のソロフライトを2回行うこと
- インストラクター2名の推薦があること
- 機長として50時間以上のフライトを行うこと
[編集] 日本の熱気球大会
[編集] 日本選手権
1984年から年に一度、日本気球連盟が決めた選手権が開催されている。この選手権により毎年日本チャンピオンが決定される。開催地は2009年の第26回を含め20回が佐賀で開催され、その他、上士幌(北海道)が4回、鈴鹿(三重)と佐久(長野)がそれぞれ1回となっている。開催場所は前年に日本気球連盟によって決められている。
[編集] 各地の気球大会
- 富良野バルーンミーティング(2月上旬) 北海道富良野市 <主催>コロポックル
- 上士幌ウインターフェスティバル(2月中旬) 北海道上士幌町 <主催>北海道バルーンフェスティバル組織委員会
- ゆめ気球とかち(2月中旬) 北海道音更町 <主催>ゆめ気球・十勝実行委員会
- 流氷バルーンフェス(2月中旬) 北海道小清水町 <主催>小清水熱気球クラブ
- おぢや風船一揆 ~日本海カップ・クロスカントリー選手権(2月下旬) 新潟県小千谷市 <主催>おぢや風船一揆実行委員会
- 阿蘇バルーンミーティング(3月下旬) 熊本県阿蘇市 <主催>阿蘇バルーンミーティング実行委員会
- 全日本学生選手権(3月下旬) 栃木県栃木市 <主催>渡良瀬遊水池 学生連絡会
- 古河熱気球大会(3月下旬) 茨城県古河市 <主催>茨城県古河市渡良瀬遊水池 古河市体育協会
- 渡良瀬バルーンレース ~熱気球ホンダグランプリ第1戦(4月上旬) 栃木県藤岡町渡良瀬遊水池 <主催>渡良瀬バルーンレース組織委員会
- チューリップバルーンフェスティバル(4月中旬) 富山県砺波市 <主催>富山気球連絡会
- 佐久バルーンフェスティバル ~熱気球ホンダグランプリ第2戦(5月上旬)長野県佐久市 <主催>佐久バルーンフェスティバル組織委員会
- 秋田スカイフェスタ(5月上旬) 秋田県横手市 <主催>秋田県横手市
- 羽生スカイフェスタ(5月上旬) 埼玉県羽生市 <主催>羽生バルーンフェスティバル実行委員会
- 吉野ヶ里のバルーン「吉野ヶ里杯」「卑弥呼杯」(6月上旬) 佐賀県神埼市・吉野ヶ里町 <主催>佐賀熱気球パイロット協会
- 北海道バルーンフェスティバル(8月中旬) 北海道上士幌町 <主催>北海道バルーンフェスティバル組織委員会
- 風船一揆秋の陣(9月中旬) 新潟県長岡市 <主催>越後風船共和国
- 鈴鹿バルーンフェスティバル ~熱気球ホンダグランプリ第3戦(9月中旬) 三重県鈴鹿市 (鈴鹿サーキット周辺) <主催>鈴鹿バルーンフェスティバル組織委員会
- スカイフェスとなみ(10月上旬) 富山県砺波市 <主催>富山気球連絡会
- 会津塩川バルーンフェスティバル(10月中旬) 福島県喜多方市 <主催>会津塩川バルーンフェスティバル実行委員会
- 小山バルーンフェスタ(11月中旬) 栃木県小山市 <主催>小山バルーンフェスタ事務局
- 琵琶湖横断レース(11月中旬) 滋賀県高島市 <主催>琵琶湖横断レース実行委員会
- 岩出山バルーンフェスティバル(11月中旬) 宮城県大崎市江合川河川公園 <主催>岩出山バルーンフェスティバル実行委員会
- 瀬戸内バルーンフェスティバル(11月下旬) 岡山県瀬戸内市邑久町 <主催>瀬戸内バルーンミーティング実行委員会
- 佐賀インターナショナルバルーンフェスタ ~熱気球ホンダグランプリ第4戦(10月下旬~11月上旬) 佐賀県佐賀市嘉瀬川河川敷 <主催>佐賀バルーンフェスタ組織委員会
- とちぎ熱気球インターナショナル・チャンピオンシップ ~熱気球ホンダグランプリ最終戦(11月下旬) 栃木県宇都宮市・茂木町(ツインリンクもてぎ周辺) <主催>とちぎ熱気球選手権実行委員会
- SAGAバルーンチャレンジシリーズ(11月中旬から翌年2月下旬まで計5戦) 佐賀県佐賀市嘉瀬川河川敷 <主催>熱気球大会佐賀運営委員会 <運営>佐賀熱気球パイロット協会
- 渡良瀬カップ「12月の風」(12月中旬) 栃木県藤岡町 <主催>渡良瀬カップ実行委員会
- 佐賀市長杯・若葉杯新人戦(12月中旬) 佐賀県佐賀市 <主催>佐賀熱気球パイロット協会
- 阿蘇クリスマスバルーンフェスタ(12月下旬) 熊本県阿蘇市 <主催>阿蘇バルーンフェスタ実行委員会
- 日向かぼちゃカップ(12月末~翌1月初旬) 宮崎県都城市 <主催>南国越冬隊・宮崎大気球部
日本国内では航空法に基づき、気球を飛行・浮遊させる空域によっては、飛行・浮遊させる事が禁止される場合、または飛行・浮遊させる場合に事前に国土交通大臣への届出が必要な場合がある。
「制限表面」も参照
- ^ 梅棹エリオ『熱気球イカロス5号』(中央公論社、1972年)巻頭「はじめに」(樋口敬二)
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